2011年06月13日
トランスワールドスノーボーディングマガジン
こんばんわ
まるっきりミリネタじゃないですよん
皆さんスノボーしてますか?
私は昔~今のGUNのように凝ってた時期がありましたね~
92年頃から~00年ぐらいまでは、そりゃ~も~ね
私が当時始めた頃は、スキー全盛期でしてね~
今では信じられないぐらい、滑れる場所が無くて・・・苦労したもんですわ
始めた頃は当然何も教本も無く、スクールなんてのも無く・・・
唯一、スノボービデオが教科書でして~
何度も何度も見て、見よう見真似で滑りに行って~そりゃ~何度もコケて(笑)
こりゃ!あかん!と、皆でスケボー始めてね~
近所に当時有名なスケボー場があって、友達・先輩がスケーターしていたもんで、ご教授受けてましたね~
そこは、ランプが常設してあったので、私はランプがメインでしたね~
いわゆる「ハーフパイプ」ですね~
気づけば、スケボーで工事用のコーンをオーリーで飛ぶまで成長しましたわ
「平らな所で出来ない技が、斜面で出来るはずはない」
当時ムラサキスポーツのプロをしていた先輩のお言葉ですわ
何事も基礎
毎日毎日毎日毎日・・・ただひたすらオーリーを練習してましたね・・・
平らな所で止まってオーリ
成功して安定したら滑りながらオーリ
小さな障害物から初めて、最後は工事用コーン
そしてランページデビュー
その頃にはスケボーにビンディングを取り付けてスノボーの練習
ランプでトゥーイークや540を決めてましたね~
それも出来ると、スイッチで滑り始めまして同じ技の練習
私はレギュラースタンスでしたので、スイッチはグーフィーです
足の固定していない、スケボーでなんでも出来るようになると固定しているスノボーは
とてもスムーズでした
あ~いまでは、どれぐらい滑るかな・・・
私の最盛期95~96年
当時マックダウ製のビデオが一番COOLで、それに使われていた楽曲を
御茶ノ水や渋谷のレコード店を回って買って車内で聞いたもんですね~
NOFX、バッドレリジョン、デッドケネディー、PULLY、
当時の本
結婚の時に部屋を片付けて大半を捨てましたが、お気に入りの号はこうして保存してます
日本語版が出る前は洋書を買ってきて、一生懸命解読してましたっけ(笑)
でも向こうの雑誌は写真説明が多いので、案外楽でしたね
よく会社の後輩が「キラさん!スノボー教えて下さい」ってきました。
スキー場に行くんですね~
基本を教えて、滑らせるんですね~
上手く滑れないんですよ・・・
後輩:「どうしたら滑れるようになりますか」
オイラ:「足の裏に雪面を感じるんだよ、それに合わせて足裏を付けるようにすると自然に板が付いてくるよ」
後輩:「???」
分厚いブーツにスノボ板
理解出来ない奴ばかりでしたね~
理解出来た一人の後輩は、転勤で実家の新潟へ戻り、数年後・・・
CDを送ってきました。
彼はスノボー大会へ出て見上げるようなキッカーを臆することなく突っ込んで、見事にトリックをメイクしてましたね
「感じる」感性って、何事にも大事ですね~
彼も日々の鍛練を欠かさず、夢と目標を持って、諦める事無く努力した結果ですな
そして、その努力を神様が見ていてご褒美に「感じる力」を与えてくれたんですね
守破離
自分を超えた後輩に感激しちゃいました
そんなお話でしたmm
タグ :スノボー