2013年04月08日

羊と放羊犬と狼

羊は常に放羊犬の事を気にかけているとはいうとは限らないが、戦士は羊の事を心配している。
自分が守ると誓った羊の為に傷つき、苦しみ、涙を流している・・・

警察署は全体にざわついていた。
笑い声や冗談口が絶えないのは、私自身も含めて新人警官が今日初めて街に出るからだ。

いつ果てるともしれない授業やテストや講義の日々を何か月も経て、晴れて警察学校を
卒業して署の一員になる時が来たのだ。

満面の笑みを浮かべた見習い警官とピカピカのバッジがずらりと並んでいる。

会議室に集まっている時、私達はジッと座っている事も出来ないほどだった。

自分の順番が早く来ないかとウズウズしていた。

皆に紹介され、区域割り当て―知らない人の為に説明すると、自分が「奉仕と保護」を担当するのは
都市のどの辺りかと言う事―が知らされる時が待ちきれなかったのだ。

その時彼が入ってきた。
慎重190cm、体重100kgの筋肉の塊で、まるで鋼鉄のようだ。
白い物の混じる黒い髭。鋼鉄のような目には、彼がこっちを見ていない時でも人を不安にさせるものがあった。
そう小さくもないこの市で、これほど大柄で賢い警察官はかつて居なかったと評判の人物だった。

誰も思い出せないほど昔からこの警察署に在籍し、その年月のうちにすっかり伝説的存在になっていた。

新人たち(彼は「ルーキー」と呼んでいた)は彼を尊敬し、恐れていた。

彼が口を開けば、どんなベテラン警官も耳をそばだてる。

彼が昔の警察の話を始めた時にそばにいれたなら、それだけでルーキーにとっては名誉と言っていいほどだ。

しかし、私達は分をわきまえていたし、鼻であしなわれるのが怖くて話しかけたりすることはなかった。

彼を知る者は皆、彼を厚く尊敬していた。


務めて1年が過ぎても、彼がルーキーと長いこと話しているのを私は見た事も聞いた事もなかった。
たまに話しかける時も
「それで、お前は警察官になりたい訳だな、英雄さんよ。いいか、どんな味がするかわかるまでは、
一人前の警察官を名乗るんじゃないぞ」と言うだけだった。

このセリフは何十回も聞いていた。

「どんな味がするか」


と、言う言葉が具体的に何を指しているのか、私達は皆で賭けをしていた。
激しい戦闘に遭遇して血の味を知ると言う意味だと言う者もいた。
また、長い勤務時間をこなして汗の味を知ると言う意味だと言う者もいた。


1年間署に居て、人も仕事もだいたい憶えたと思った。

それである日の午後、勇気を出して彼に近づいていった。

彼がこちらを見下ろした時、私は言った。

「私もそれなりに経験を積んできたと思います。何度取っ組み合いをしたか数えきれないぐらいだし、
何十回も容疑者を逮捕したし、他の皆と同じようにしゃかりきに頑張ってきました。それで、いつも
おっしゃっているあの言葉の意味を教えてもらえませんか?」

彼はこう言っただけだった。
「ふむ、そんなに経験を積んできたと言うんなら、意味はお前の方が解ってるんじゃないかね?英雄さんよ」

私が答えられずにいると、彼は首を振り、「ルーキーだな」と小さく笑い、そのまま離れていった。


翌日の夜は、それまでで最悪の夜だった。
最初のうちはそう忙しくはなかったが、夜が更けるにつれて電話は頻繁に、また物騒な内容になっていった。

私は何件かちょっとした事件の犯人を逮捕し、すさまじい乱闘にも遭遇したが、容疑者を傷つけず、
私自身も怪我をする事なく逮捕する事が出来た。
その後は、早く勤務時間が終わらないかとばかり考えていた。
妻と娘の待つ家に帰りたかった。

ちらっと腕時計を見ると23時55分だった。
あと5分で帰れる。

疲れのせいかそれともただの錯覚か、受持区域の通りを走っていた時、どこかの家の玄関ポーチに私の
娘が立っているのが見えたような気がした。
慌てて見直してみた。
娘ではなく、同じ年頃の女の子だった。

6つか7つで、足元まで届くダブダブのシャツを着ていた。
私より歳を取っていそうな古いぬいぐるみをしっかりと抱いている。

こんな時間に外で何をしているのかと、私はすぐにパトカーを停めて調べに行った。
近づいていくと、少女の顔に安堵の表情が浮かんだようだった。

強いお巡りさんが助けに来てくれたと思っているな、と私は声を出さずに笑っていた。

そばに膝をついて、お外で何をしているの?と尋ねた。


「ママとパパがさっき凄いケンカをして、ママが起きなくなっちゃったの」と少女は言った。


頭の中が真っ白になった。
どうしたらいい?
急いで署に連絡をして応援を頼み、手近な窓に走った。
中を覗くと、倒れた女性のそばに男が立っていた。
両手が血―女性の血で真っ赤になっている。

私はドアを蹴破り、男を押しのけて女性の脈をとったが、もう脈が無かった。。。

その場で男に手錠をかけ、女性に心肺蘇生術(CPR)を始めた。

その時、後ろから小さい声が聞こえた。

「お巡りさん!ママを起こしてあげて」

私はCPRを続けた。
やがて応援と救急隊員が到着したが、手遅れだ、もう死んでいると言われた。

男に目を向けると、彼は言った。

「何が起きたのかわからない。酒を辞めて仕事を探せとあんまりうるさいから嫌になって、ホッといてくれと
突き飛ばしたら、倒れて頭を打ったんだ」

手錠をかけた男をパトカーに連れて行く時、さっきの少女をまた見かけた。

この5分間で、私は強いお巡りさんから、怖い怪物に変身していた。
ママを起こしてやることが出来なかったばかりか、今度はパパを連れ去ろうとしている。

立ち去る前に少女と話をしたいと思った。
何と言うつもりだったのか解らない。

ママとパパの事は残念だったと言うぐらいか・・・

しかし、近づいていくと少女は顔を背けた。

言葉をかけても無駄だと思った。無駄どころか、かえって辛い思いをさせるだけだ。


署のロッカールームに座って、頭の中で何度も反復してみた。
もっと素早く行動していれば・・・
もっと違う対応を取っていればあんなことにはならなかったかも知れない・・・
あの子は母親を亡くさずにすんだかも知れない・・・

独善的に聞こえるかも知れないが、そうすれば今でも強いお巡りさんで居られたのかも知れない・・・
と、思った。




その時、肩に手が置かれた。
そしてお馴染みのセリフが聞こえた。
「よう!英雄さん、どんな味がするか解ったか?」



カッとなって辛辣な言葉を返そうとしたが、とたんにせき止められていた感情がドッと溢れ出てきて、
涙が止まらなくなった。
その時、彼の言葉が何を意味しているのかわかった。



「涙の味だ」



彼は離れていこうとしていたが、ふと立ち止まった。
「なあ、お前が何をやっても、あれはどうしようもなかったぞ」

彼は言った。

「やるべき事をちゃんとやっても、どうしようも無い時はあるんだ。お前は自分が思ってたような英雄じゃ
なかったかも知れんが、これで一人前の警察官になったんだよ」



放羊犬は暴力をふるう能力と群れへの深い愛を与えられている。
それは重荷であり、祝福でもある。
それが戦士と狼の違いだ。


優しさほど強いものはなく、真の強さほど優しいものは無い

聖フランソワ・ド・サール [16~17世紀にジュネーブで活躍した司教]






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Posted by キラ  at 22:49 │Comments(2)何かの指針

この記事へのコメント
最後の赤文字の意味を知るか、知らないかは、人生において大きな意味をもつ。本当に強さを極めた人は、優しい人が多い。というより、優しい人しか見たことがない。優しい人とCQBをする時は強敵だと心得よ。
Posted by PJ at 2013年04月17日 22:49
PJさん
こんばんは(^^ゞ
いつも大事な教えをありがとうございます♪
目指すはソコですね!
そこに向かって頑張りまする!
Posted by キラキラ at 2013年04月22日 23:06
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